うまうま日記   006

どうも、おはこんばんちわっす

うまうまジェントル氏です









さて、今週は待ちに待った日本ダービー


このレースを勝つことこそが全てのホースマンの夢であり、憧れ
そして、最大の目標であり最高の名誉

年末の有馬記念が競馬のお祭りなら、ダービーは本来富と名声を
競い合うために貴族が始めた、競馬というものが存在するための
意義、まさに競馬の権威そのものでしょう


イギリスの政治家で首相でもあったのウィンストン・チャーチルは

【ダービーオーナーになることは一国の宰相になるよりも難しい】

という言葉を残したという逸話もあるくらいです


それほど特別なレースである日本ダービー



この日本ダービーを過去5度も制した武豊でさえ
「このレースだけは特別。何度でも乗りたいし、何度でも勝ちたい」
と、毎年この時期が来るたびにメディアにコメント



今から2年前、フェノーメノでハナ差の2着に敗れた後、検量室で戸
田調教師に肩を抱かれながら涙に暮れた蛯名が、最終レースの目黒
記念をそのまま勝った時は
「ここじゃない、ここじゃないんだよ」
と、歴史もあり高額賞金の重賞を勝った後にも関わらず自嘲気味に
そう話したと言います



今回のダービーはその蛯名の乗るイスラボニータが恐らく1番人気

西高東低の時代が長かったゆえか、現役の関東の騎手でダービーを勝
っているのは、横山典弘と内田博幸のみ

関東馬の制覇はここ20年で、サニーブライアンとロジユニヴァースの
2頭だけ


今年はどんなドラマが待っているのでしょうか?



明日行われるダービーの期待に胸を躍らせつつ、何か一つダービー馬
の話でもと思っていたのですが、

今回のお話は、ダービーを勝った馬ではなくダービーを勝てなかった
ゆえに、時代に忘れ去られそうな馬をテーマにしてみようかなと思います




突然ですが皆さん、セントライトという馬をご存知でしょうか?

そうです、あの戦前唯一の三冠馬で、今なおセントライト記念という
名前でレース名に名を残し競馬ファンの語り草となっているセントライト
です
※といっても、戦前に3冠レースが確立されてからは6年だけの施行


詳しい戦績や、馬のことは知らずとも3冠馬のブランドというのは凄
いもので、ついぞこの前競馬を始めたような人でも

「セントライト?あぁ、聞いたことあるよ!三冠馬ね(ニッコリ」

という反応が得られるほどの名馬です


3冠王
歴代日本人野球選手に例えると、

野村、王、落合、松n(ry・・・・・・凄い!! 

いや、松中も凄いですよ・・・近年が余りにもあれですが


じゃあ、トサミドリという馬はどうでしょう?


どんな馬かをスラスラと答えられたあなたは、立派な競馬マニア
是非うちの競馬コミュニティに入ってもらいたいです(笑)


確かにトサミドリは顕彰馬でありますし、キャリアのある競馬ファン
には当たり前と言えば当たり前の馬なのですが、


例えば競馬場にいる若い競馬ファンに
セントライトとトサミドリについて聞いた場合


間違いなく、
名前自体がセントライトの5分の1も知られていないと思います



ちなみにこのトサミドリという馬は3冠馬セントライトの弟で皐月賞、
菊花賞を制した2冠馬
※兄のアルバイトも皐月賞と天皇賞を勝っている超良血です、フリッパンシー超有能



2冠王
現役の日本人野球選手に例えると、
中村ノリ、中日小笠原、おかわり中村




あっ(察し)・・・何故か一気にネタ要素が強くなりましたね




ちなみに、セントライトとトサミドリの成績(現役成績&種牡馬成績)
を見比べてみましょう



セントライト(アニキ)


セントライト


http://ahonoora.com/stlite.html



トサミドリ(オトウット)



トサミドリ


http://ahonoora.com/tosamidori.html

※優駿たちの蹄跡という競馬データサイトからの引用ですここにはいつもお世話になってます



どう贔屓目に考えても同等かそれ以上・・・産駒成績も加味すれば間違い
なく弟の方が優秀なんですが、これは・・・

ジャギ兄さんも嫉妬に荒れ狂うくらいの優秀な弟


天皇賞での落馬事故以降ケチが付いたのか、成績が下降していますが
それまではダービー以外はほぼパーフェクトな成績


というか、セントライトは古馬になって走ってませんからそれに関して
偉そうなことも言えませんね



落馬した天皇賞前の敗戦レースの斤量を見てください

75kgですよ?もうね、レースとかそういう次元の斤量じゃないです
フジノオーとか、グランドナショナルで76kg
背負わされた時は馬の心が折れて
競馬辞めてますよ(一緒にしたら駄目w)
 



その時勝ったタチカゼは前年のダービー馬ですが、それとはなんと11kg
もの斤量差



特筆すべきは実に10度のレコードタイムを叩き出したトサミドリの圧倒
的なスピード
一度もレコードで走ったことの無いセントライトに比べてその差は圧巻

それが産駒に良い感じで伝わったのか、戦後の内国産種牡馬としては最
高レベルの種牡馬成績を残しています

産駒があげた1135勝というのは、何と近年フジキセキに抜かれるまで
50年以上も死守し続けた内国産種牡馬の記録


当時は今のように頻繁な3場開催でもなく、アラブ限定戦もあり、更に
1日12Rあったわけでもない時代にこの勝ち鞍は恐ろしいの一言


日本と外国の競馬のレベルが天と地ほども差があった当時に、ここまで
輸入種牡馬に対抗したこと自体が脅威です
8大競走勝ち馬は実に7頭、他にもメイジミドリ、ショウグン、トサモアー、
マツカゼオーなど、我々でも知っているような名馬がゴロゴロといます


まさに日本のハイフライヤーと言っても過言ではないでしょう
※19歳までの生涯であのエクリプスを相手に13回のリーディングサイアーを獲得、
サドラーズウェルズが現れるまで200年記録を死守し続けた化け物。戦績も12戦無敗




そんな名馬が、これほどの名馬が・・・



ただ、ダービーを負けただけでセントライトよりも格段に知名度が劣るという
悲劇




一体、その時の日本ダービーで何が起こったのでしょうか?





時は1949年、戦後に競馬が開催されたのが1947年なので、そこから数えること
3回目

ここまで10戦8勝レコード2回と圧巻の成績を収めていたトサミドリは55.8%の圧倒的な支持率

この年からは、単勝上限配当が撤廃、購入額も100円単位からと日本の経済成
長に合わせた軌道修正が行われたんですが、高配当に胸を躍らせる馬券購入者
に立ちはだかったのが圧倒的な1番人気馬がトサミドリ
※今までのレースは20円単位での馬券購入。単勝オッズは20倍が最高で、
それを超える馬券収入は外れた人に払い戻された
つまり、本来100倍の馬が勝っても払い戻しは20倍、残りの80倍は特払い
として外れ馬券を持っている人と交換・・・・・・優しい世界





この55.8%というのはダービー至上歴代6番目の支持率で
第5位はあのシンボリルドルフ、第7位はフサイチホウオー
これらの馬と同等の人気を集めていたわけです


3歳初戦に泡を食う形で唯一ハナ差負けたミナミホープには皐月賞で完勝
兄はあのセントライトにアルバイト

正直、ここまで不安要素は何も無かったはずです

ちなみに2番人気は、皐月賞2着でトサミドリに勝った経験もあるミナミ
ホープではなく、桜花賞馬で、後に天皇賞も勝つ名牝ヤシマドオター

フサイチホウオーの時の2番人気が牝馬のウオッカだったように、同じ路
線の馬に勝ち目が見出せないと、別路線組みの馬が押し出されるように対
抗勢力として持て囃されるというあれです
ディープインパクトの時も2番人気は京都新聞杯から来たインティライミ
でした


この時点で如何にトサミドリが絶対的だったかがお分かりだと思います



唯一の不安といえば、馬がやる気になりすぎて予定以上の調教を戦前に
消化してしまったこと

当時は今のようにネットもありませんし、競馬新聞などの媒体も今ほど
精度のあるものではありません

もちろん当時の馬券購入者にも基礎的な競馬の知識があったとは思われず、
調教を余分に消化したなどと聞いても、馬の状態が良いんだな・・・などと軽
く流してしまったんでしょう


結局、1.4倍という圧倒的な人気を背負って迎えた日本ダービー



レース前から暴れる馬がいて2頭が外枠発走となった荒れ模様の雰囲気が
漂うそんな中、圧倒的な人気を背負うトサミドリはスタートから抑えが利
かずハナを切る展開に・・・調教で見せた過剰の追いきりがここにきて大
きく裏目にでます

更にこれに乗じて人気薄の馬(テツオー)がトサミドリに競りかけ、後ろに
いた騎手はここぞとばかりに色めきたちました

レース半ばでトサミドリの暴走に勝機ありとみた後方の騎手は、我先にと
勝負どころで追い出し、未曾有の大災害が引き起こされます

当時のダービーは今とは違い出走頭数が18頭以上が当たり前
このトサミドリが走ったダービーは23頭の馬が出走しています



そんな数の馬が3コーナーで一気に動いたものだから、馬群が凝縮されて
酷いことになったのです・・・


まず外から被せられたミネノマツが行き場をなくして落馬


更に内にいた2番人気のヤシマドオターは、
その落馬に驚いて内ラチを踏み切って
ジャンプしてレースから逃走



そこからコマオーも落馬し、何頭もの馬が外に
弾かれ、内ラチにぶつかり騎手同士は
馬群を割るために馬をぶつける



隣の騎手に肘が当たり、前の馬に自分の馬が乗っかる


そんな危険なレースが行われる中
※レース後、全ジョッキーが裁決室で指導を受けるという事態になった


テツオーの煽りに更に過剰に反応して抑えの利かないトサミドリは、
もうどうにも止まらなくなり見事玉砕


そんな中、内を掬って伸びてきたのはなんと23頭立ての19番人気
タチカゼ
※2着は、後にコダマやシンツバメなどを輩出し、今なおスペシャルウィークの
牝系に名を残す名牝シラオキ



父はトサミドリと同じ名種牡馬プリメロで、戦後の財閥解体で既にサラブ
レッド生産が中止されていた小岩井農場の忘れ形見、更に調教師は関西の
トップトレーナー伊藤勝吉という、トサミドリにも負けず劣らぬのエリー
ト育ちだったはずのタチカゼは

ダービーまでが7戦2勝、前走の着順はブービーと見るべきところの全く無
い馬


その証拠に、このレースの後の表彰式には、調教師の姿がありません


まったく期待していないので、
レースを見に来ていなかったのです



関西のトップトレーナーだったにも関わらず、ここまでダービーを勝つこ
とが出来ず、人一倍ダービーを勝つことに執念を燃やしていた伊藤勝吉は
このレースの前に乗り役であった近藤武夫に対してこう言ったそうです

「とりあえず乗って来い・・・賞金?そんなんあっち(東京)で
全部飲んできたらええ」 


しつこいようですが、本当にまったく期待していなかったんですね


かの名伯楽武田文吾も、当初は過小評価していたシンザンをスプリングS
で見に行かず、電車の中で勝利報告を聞いた時に心の中でシンザンに謝った
というエピソードがありますが、これはダービーですよ
※ちなみに、武田はこのダービーには騎手として参加しており、レース後に
「こんなのは競馬じゃない」というコメントを残しています



伊藤はタチカゼ勝利の吉報を聞いた時、嬉しさの感情は一切見せずに
ただ呆然と立ち尽くしたといいます

結局、誰よりもダービーを勝つことに執念を燃やした男は
その後1度もダービーを勝つことなく調教師を引退

唯一表彰されるチャンスを自らふいにしたことは、伊藤の一生の傷跡と
なったことでしょう



そして何よりも驚かされたのがその配当金


単勝のオッズは何と


        55,430円


これは今でもG1レース史上最高の配当として残っています



そもそも元来平場の最高配当が1955年にマークされた558.7倍で
それが今年59年ぶりに569.4倍に更新されたばかり


恐らく、ある程度の注目度があって、購入者も多いG1レースで
この記録が更新されることはほぼ不可能と言って良いでしょう

圧倒的な1番人気馬が故障して、更にどうあがいても買えないような
最低人気の馬が勝ったサンドピアリスのエリザベス女王杯の配当が
43,060円、しかも当時は20頭立て

今は、G1で500倍を超える馬を見ること自体が無理だと思います




そして、なによりも本当に驚くべきことはそんなことではなく


当時の物価と金銭価値です


当時1949年の大卒初任給の平均額は、なんと約2000円程度
今の実に1/100ほどの額にしか満たないのです

今の56,940円と、当時の55,430円が同じ価値などと考えては当然駄目



そんな中で100円単位の馬券というと、買うのも当然リスキーだった
と思いますが、もしも的中していたとなると、当時の約2年分の給料が
そのまま懐に転がり込んできた計算です



単勝上限が解放された1年目が大荒れ

このように書くと馬連が始めて適応された日本ダービーで、人気薄で
2着に突っ込んで万馬券を演出したライスシャワーを思い出しますが
流石にこのタチカゼの単勝馬券と比較できるようなものでもないですね





結局その敗れたダービーの後11連勝を記録し、菊花賞でも当たり前の
ように1番人気に答えて勝ったトサミドリですが、ダービーというのは
サラブレッドにとっては一生に一度の大レース、どれだけ連勝を重ね
ようとダービーに再び出るという我が侭はまかり通りません


今なお破られていないクリフジに並ぶ11連勝の日本記録を達成しても
50年以上保持し続けた内国産種牡馬の勝利記録を樹立しても日本レ
コードを10回マークしようとも
自分の子供がダービーを勝とうとも


ただ1度、ダービーでやらかした


それだけで永遠に3冠馬セントライトの弟という
ことが前提に語られる馬
になったトサミドリ


きっと、トサミドリが人間の言葉を話せたら
こんなコメントを残したと思います



トサミドリ
「3歳時にそのようなレース
(日本ダービー)に負けたこ
とがあり、今はとても後悔
しています。当時は若く折
り合いがつきませんでした。
たった一度の過ちであり2
度と同じ間違いはしません」




と・・・




これで今週の馬のお話はおしまい

いかがだったでしょうか?普通の競馬ファンにはあまり興味の無い時代
の話だったために置いてけぼりになった人も多いかと思いますが、
これだけの名馬がダービーというレースを勝てなかったことで、永遠に
三冠馬の弟として語られることが知っていただければ幸いでございます





さて、今年の日本ダービーはどうなるんでしょうね
結果は明日の15時30分




余談ですが、今回のダービーは蛯名の8大競走制覇がかかったレー
スである
過去、この8大競走を全て制した騎手は、保田隆芳と武豊の2人のみ


現役では横山典が桜花賞を最後にリーチをかけているが、
思えば、かの名手岡部は関東の騎手であったことが災いしてか
桜花賞を残して結局8大競走の制覇を成すことはなかった


最後にダービーを残した騎手は、蛯名と同期の武豊
武豊ですら、オークスのベガでリーチをかけてから最後のダービ
ーを勝つまで5年かかった
※というか、武はデビューからたった6年で8大競走制覇にリーチをかけた変態です



同期で、同じ競馬サークル出身ながら、デビュー当初は武豊と天と
地ほどの知名度の差があった蛯名


若い頃から腕はあったのだが、G1を初めて勝ったのはデビューから約
10年経った秋の天皇賞(バブルガムフェロー)



そんないぶし銀が、ついに同期のスーパースターに遅れること
16年、8大競走制覇という偉業に挑む大きなチャンスを与えられた


ここまで積み重ねてきた勝ち数は実に2,236(2014年5月31日現在)
武豊ほど派手ではなくとも、ここまで28年かけて自分の力で武豊と
同じ土俵にまで上り詰めてきた

少なくとも、蛯名が武よりも明らかに劣っていると思っている競馬
関係者は1人もいないはず




今年のダービーにはどんなドラマが待ち受けているのか・・・


それでは皆様、素敵な日本ダービーを・・・・・・